御由緒
霧島神宮は天照大神より「豊あし原の千五百秋の瑞穂の国は是れ吾が子孫の王たる可き地なり宜しく爾皇孫就きて治せ行くませ宝祚の隆えまさむこと当に天壤と窮無かるべし」との御神勅を戴いて、三種の神器と稲穂を捧持して高千穂峰に天降りまして天壤無窮の皇基を建てられた日本の肇国の祖神瓊瓊杵尊を主祭神として奉斎しています。 また、相殿に別項の通り六柱の皇霊を配祀しております。
御祭神
御主神 | 天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊 |
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相殿神 | 木花開耶姫尊(お后) |
彦火火出見尊(御子神) | |
豊玉姫尊(御子神のお后) | |
鸕鶿草葺不合尊(御孫神) | |
玉依姫尊(御孫神のお后) | |
神日本磐余彦尊(御曽孫神) |
霊峰高千穂峰
日本で最も古い書物である古事記および日本書紀に瓊瓊杵尊が「 筑紫日向の高千穂の久士流多気に天降 ります」「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」と記されている霊峰が霧島神宮の背後に天聳立つ高千穂峰です。頂上には” 天の逆鉾 ”があり、山容の崇高秀麗なことは筆紙に尽くすことはできません。 高千穂峰一円は古えの日向の国の内であり古事記・日本書紀に記載されている日向国はその後「和銅年間」四郡を裂いて大隅国が置かれました。
社殿の創建
霧島神宮は遠い神代の古えより縁りある霊峰高千穂峰に鎮座すると伝えられており、延喜式にも日向国諸県郡霧島神社と記されています。旧記によると、本宮はもと高千穂峰と御鉢「噴火口」との中間、脊門丘に奉斎されていましたが、御山の噴火のために悉く 炎上し、村上天皇の天暦年間(950年)天台宗の僧である性空上人が高千穂河原に再興奉還しました。また、文暦元年(1234年) の大噴火により、社殿、僧坊寺が災禍に遭い、田口の待世の行宮に250年間奉斎されました。その後、真言宗の僧 兼慶上人が藩主 島津忠昌公の命をうけて土御門天皇の文明16年(1484年)に社殿等を再興しておられます。そののち、別当寺 華林寺からの失火により全焼の厄に遭われたのを、第21代藩主島津吉貴公の寄進により正徳5年(1715年)に重建されたのが現在の御社殿です。約300年前の建物で、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、登廊下、勅使殿、門守神社等その配置は妙を得て輪奐の美をなしています。前述のごとく当神宮は歴代の島津藩の崇敬篤く、縷々祈願奉養がなされ、神領宝物の寄進御造営など敬神の誠が捧げられました。平成元年には国の重要文化財の指定をうけています。